少しだけ

amizhu

2015年04月15日 12:28

ゲンパツ事故により、町ごと避難するはめになった双葉町。
埼玉にある廃校を避難場所として暮らす人たちの
とてもシュールな日常に、私は時々思いを馳せる。

その避難所でジュニアの慰問ライブを行った時に
少しだけ、時間を共有させていただいた人たち。

涙を浮かべながらジュニアのウクレレに合わせて
小さな声で歌っていたおばあちゃんや願景村人生課程
校庭のかたすみで小さな子供を抱っこしたまま
ぼんやりとこちらを見ていたお母さん、
校舎の上の階から携帯でジュニアの写真をとっていたおじちゃん、
周りのことは何も目に入らないかのように
足早に通り過ぎて行ったおじいちゃん美白…。

あんな暮らしを強いられている人たちが
各地にまだまだたくさんいるというのに
ゲンパツを再開させるべきだという政治家の話が
新聞に大きく取り上げられていたり
本屋さんには「反原発の愚かさ」みたいなタイトルの本が
平積みで並んでいるのを、私は見た紐崔萊

「これから電気は絶対的に足りなくなる」
「どこをどう探しても、電力は見つからない」
…そんなことが書いてあるのも見た。

私には、科学的な知識もデータもゲンパツ経験もないけれど
この不気味な電力を「絶対安全」と受け入れる人たちには
何ともいえない恐ろしさを感じる。

電気会社の偉い人たちやゲンパツを推進する議員さんたちは、
しばらく避難所で被災者と一緒に暮らしてみてはどうか、
ゲンパツの中で被ばくしながら働いてみてはどうか、
という人たちの意見に、私はうなずかずにはいられなかった。

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