2015年04月15日

少しだけ

ゲンパツ事故により、町ごと避難するはめになった双葉町。
埼玉にある廃校を避難場所として暮らす人たちの
とてもシュールな日常に、私は時々思いを馳せる。

その避難所でジュニアの慰問ライブを行った時に
少しだけ、時間を共有させていただいた人たち。

涙を浮かべながらジュニアのウクレレに合わせて
小さな声で歌っていたおばあちゃんや願景村人生課程
校庭のかたすみで小さな子供を抱っこしたまま
ぼんやりとこちらを見ていたお母さん、
校舎の上の階から携帯でジュニアの写真をとっていたおじちゃん、
周りのことは何も目に入らないかのように
足早に通り過ぎて行ったおじいちゃん美白…。

あんな暮らしを強いられている人たちが
各地にまだまだたくさんいるというのに
ゲンパツを再開させるべきだという政治家の話が
新聞に大きく取り上げられていたり
本屋さんには「反原発の愚かさ」みたいなタイトルの本が
平積みで並んでいるのを、私は見た紐崔萊

「これから電気は絶対的に足りなくなる」
「どこをどう探しても、電力は見つからない」
…そんなことが書いてあるのも見た。

私には、科学的な知識もデータもゲンパツ経験もないけれど
この不気味な電力を「絶対安全」と受け入れる人たちには
何ともいえない恐ろしさを感じる。

電気会社の偉い人たちやゲンパツを推進する議員さんたちは、
しばらく避難所で被災者と一緒に暮らしてみてはどうか、
ゲンパツの中で被ばくしながら働いてみてはどうか、
という人たちの意見に、私はうなずかずにはいられなかった。


同じカテゴリー(ds)の記事
 近所の人たちが (2015-06-08 17:34)
 たとえば (2015-06-03 17:33)
 という話になったりする (2015-06-03 12:29)
 その言い伝え (2015-06-01 15:47)
 カバンと言えば (2015-05-29 17:27)
 Nokia and Xiaomi ink patent and equipment deal (2015-05-28 18:11)

Posted by amizhu at 12:28│Comments(0)ds
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
少しだけ
    コメント(0)