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2015年02月27日

社交ダンスの先生が

今朝は、雨。

時間がないなか、ブログ散歩。
そして、思うことは・・・やっぱり暗いのはキライだ。
でも、怖いもの見たさ、自分のキライなことを再確認、再認識したくて、たまに行ってしまう。

好きなのは、ヘリクツ系。
価値観とか、そんなかんじのもの。
でも、言葉遣いが乱暴だと、内容がどんなものであれ、キライ。

それと、日常のことを軽快なリズムで綴ってあるものも、好き。
朝の連ドラのノリ。
あんまり考えなくていいから、負担が少なく、楽しい。

・・・やはり、書き方(文章表現)と、人間性。


社交ダンスの先生が、おっしゃっていた。
競技ダンスの相手選びの条件は、技能でも、癖でも、なんでもなく、性格、人間性だそうだ。
長い時間、いっしょに居るから、合わない人とでは、苦痛以外のなにものでもない、と。
苦痛なものからは、なにも生まれない、と。
あとは、お金があるかどうか、だそうな。
なるほど、わかりやすい。

というわけで・・・

わたしのブログ散歩。
愛読するのは、骨があるけれど、さらっとしているブログ。
そういうのが、飽きが来なくて、長続きするようだ。

(ユニーク・ブログは、別枠キープ)


  


2015年02月12日

要領のいい人は



昨日は、朝の早よから頑張ったのに、
肝心の現場の人物(上司のようなものにあたる)が、すっかりその日を忘れてお留守、
まったく頑張りを見てもらDiamond水機えなかった。
その人物を喜ばせてあげたいために、行ったようなものなのに。

自分だけの、隠れた頑張りになった。
ちょっと虚しい。派手さゼロ。アピール力、ゼロ。

特別に評価してもらいたDiamond水机いわけではなく、評価してもらうことが目的でもなんでもないが、
いっしょに頑張りたかったのに、
非常に残念である。

まあ、自分が頑張ればそれでいいが。
こっそり、かくれて善行やボランティアをしている気分。
結果的に、いろいろなものが美しくなり、事態が好転すればいい。


世の中には、同じように嬰兒敏感頑張っても、評価してもらえる人と、
ぜんぜん評価されずに、もくもくと暗闇で頑張る人がいるようだ。

前者は、要領が良い。
後者は、要領が悪い。

わたしは要領が悪いので、
すばしっこく、抜け目無く、良い部分をささっといち早く手に入れる、なんてことは程遠い。
要領のいい人は、どの世界でも、すこく、ずる賢い、とも捉えられ、妬みの対象になることが多いが。
要領が悪いのは、たんに鈍くさいだけだ。

「いつも、要だけを行い、あとは、寝ている」なんてブログに書いているが、
そうでもないようだ。

まさに「頑張り」の要領が、悪い。
いつも、日の目を見ない。

自分の行いは、自分だけが、わかっていればいいか・・・などと、自分を慰める。  


2015年02月10日

外出時に持ち歩いていた

私のなかで、パリ熱が再燃した。
去年の夏に、パリのガイドブックを買ったが、そのまま、放置していた。
最近、なぜか、脳内パリが復活、活況を呈している。

とりあえず、ツ高鼻ールから。
昨日は延々と、インターネットで、各メーカーの「電子辞書」をあれこれ調べた。
買うっ!!! フランス語、少しでも取り組むっ!!!!
フランス語に特化した、音声付のものをチョイス。
さっそくネットバンキングでお金を振り込み、あとは、届くのを待つばかり。
もう、フランス語を勉強した気になっているから、こわい。

ここのところ、旅行会社のパンフレットや、
インターネットのパリ紹介(ホテル、アパート)を何気なく、ちらちら見ていた。
ほったらかしのガイドブックも、
実際は読まないのに、読香港短租公寓もうという気持ちだけで、外出時に持ち歩いていた。
やはり、持ち歩くと、重いだけ。読まないから、本当に重いだけ。
なら、読めばいいじゃない??なのだが、なぜか持ち歩いて、パワー充電。
やっと充電の効果が出てきたようで、昨日あたりから読み始めた。

まず、これ。
電車の乗り方。
メトロって、ややこしそう。
大阪の地下鉄を、拡張nuskin 如新して、文字、言語をまったくチンプンカンプンにしたようなもの。
3年半前、娘にパリのメトロで置き去りにされそうになって、真っ青になった恐怖体験が蘇ってきた。
(ロシアの、ものすごく深くて速い、そして荘厳な地下鉄も、すごいものがあったけれど)
このドア、閉まるのは自動だけれど、自分で開けないと、開かない。
そんなこと知らないで、ただただ、娘に着いて行っただけの無知な私だった。
さっと降りる娘。娘の後姿にぼんやり、一テンポ遅い私。
あれ? ドア閉まったまま?? 私、どうなるの??
慌てる私に、どなたかが親切に、ドアを開けてくださったんだっけ??
(頭、真っ白で、それも覚えていない)
あと数秒遅かったら、あのまま、地下鉄車内に残り、それが今生の別れとなっていたかも。

娘は、一度も行ったことがないパリの地下鉄に、なんの下調べもせずに、どんどん歩いていく。
通路が2つ、3つに分かれた時、どうして、こっちの通路を選ぶんだろう?
瞬時の選択、決断が、とても不思議だった。
なにしろ、着いていくだけ。言葉もわからない。
幼児の気分。幼児の力。乳児のアタマ。
私の腰に(見えない)ロープを巻いて、はぐれないように、娘と繋いでいた気分。

今度こそは・・・(本気で一人で、パリの地下鉄に乗ろうとしているのか???)
自分でも、ありえないのかも。。。と思いつつ、一生懸命、ガイドブックを読み込んでいる。  


2015年02月03日

毛が抜け落ち


さて、道を曲がった途端出くわした異形の生き物は、換毛(毛の生えかわり)か疥癬かで禿げてしまった狸だったが、毛の無いタヌキをひと目狸と理解するのは難しく、普通なら妻のようにイヌのようで犬でなく、ネコのようで猫でない何か得体の知れない生き物と思って当然なのだが、わたしは一瞬で狸だと見抜いた。

何故か?

以前に毛の無い狸を見ていたのである。

そのタヌキは野良猫に与える餌を食べに来ていた。毛が楊婉儀幼稚園抜け落ち、見るからに硬質な膚いも露わに夜闇に乗じて食物を漁る姿はなんとも哀れで、それでいて不気味な印象を抱いた。

餌をやり出して数日、その生き物がタヌキであることに確信はなく、犬猫で無いので狸だろうぐらいの気持ちであったが、日を追うにつれ狸だと確信できたのは、徐々に狸らしい毛が生えて来て、ある日を境に完全に狸になったからだった。

一昨日出会ったタヌキが、たちの悪い疥癬で毛を失ったのでは無く、あの時の狸のように換毛途中であることを願いながらこの記事を終える。  


2015年01月27日

あれほど

 キヨちゃんに限らず、何故かお年寄りは病院が好きである。大体、病院嫌いで困るお年寄りか、病院好きで困るお年寄りしかいないのではないかと思ってしまう。
 まあ、キヨちゃんの場合、医者の判断さえ間違ってなければ、やたらに薬を貰いたがったりしないので、その辺は安心だが、やたらと心配するというか、病気に酔ってしまうところがある。
 それはそれで、病気を見過ごすよりはいいと思うので、キヨちゃんが調べたいといえば協力するのは全然構わないのである。
 今日は、大学病院の眼科を受診した。右目の眼球に脂肪の塊が出来たのだ。これ自体は地元の眼科でも、
 「悪いものではないし、置いておいても問題ないですが、気になるなら取ってもいいでしょう。でも、ここでは出来ないので、大学病院で。」
と言っていた。だから受診。
 しかしキヨちゃんにしてみたら、「大学病院で無いと出来ない」病気・・・では?となってしまう。あれほど、ただの脂肪だといっても、
 「癌かも・・・。」
と言う始末。結局眼下ヘルニアという、「脂肪ですよ」というよりは納得のいく「病名」を貰ったので、一応納得したらしい(って同じなんだけど)。
 今朝は気になっていたのと、寝苦しかったので1時間おきに目が覚め、くりりんも同じ。結局朝は4時半スタート。ご飯を食べてちゃちゃっと玄関掃除して6時半に出発。くりりんは留守番しながらお片づけ。
 8時40分に病院について、それから検査。眼科の受診は予約していたといっても流石に大きい病院なので時間がかかる。しかも、今後手術を希望したので内科的な検査もすることになり、会計が終わる頃には14時をかるく過ぎていた。
 お昼は検査の途中で大急ぎでうどんを食べたが、さすがのキヨちゃんもお腹が空いたのか、久しぶりにうどんとおにぎりをぺろり。それで二人で笑ってしまった香港飯店
 病院の都合とあわせて、結局来月手術を予約した。簡単な手術で日帰りで出来るらしい。地元の病院で「取りたければとってもいいよ~」的な扱いで、キヨちゃんが希望したのに、
 「忙しいなあ。いけるだろうか。ほんで手術はしても大丈夫だろうか。」
と今度は自分が決めておいて、そんな事を言う益生菌好處
 「・・・。別にやめたけりゃやめていいよ。」
 私がそういうと、それはそれで困るらしい。
 夜親戚から心配して電話があった。キヨちゃんは心配してもらって嬉しそうに、
 「電話もろた~。」
と言っていた。
 「心配ないって言うといた。手術はせないかんけど、簡単じゃけんって紐崔萊。」
と結局手術は「せないかん」にはなっていたが。
 まあ、気持ち悪い物は治しておいていいだろう。お付き合いしますわ、おか~さま。
  


2015年01月23日

感想は後日


 昨日から全日本フィギュアが始まった。
 本当は昨日は定時で終わって戻るつもりだったが、次から次へと問題勃発して結局残業になった。遅くに戻って、ひとりでキヨちゃんの用意してくれたうどんを食べながら、男子SPを途中から観た。そして、部屋に戻って録画で見直す。
 まず、宇野くん。実はノービスの頃か、テレビでちっちゃいけどすごく上手い少年を見て、これは大物になるぞと期待していた。すっかり成長して17歳。けどあどけない可愛い顔をしている。そして期待通りの素晴らしいスケート。今夜のフリーが楽しみである。
 ゆづ君は言うに及ばず。ほんの少し乱れがあったが、何という力だろう。ついこの間選手生命さえも危ぶまれたかもしれない怪我をしたとは思えない。美しく繊細で、やわらかくふわりと難しい事をやってのける。
 町田選手も素晴らしい演技だった。この作品も観る度に心に響く。彼のステージはいつもアイスショーのようで素晴らしい。
 村上選手。上手な選手だがインパクトのある人である。インタビューのコメントでちょっと笑ってしまった。
 無良選手、小塚選手も今夜は頑張って欲しい。
 さて今日は女子SPと男子フリーなのだが・・・。お風呂からあがって急いで観たのがちょうど佳菜ちゃん。ものすごくいい出来だと思ったのにまさかのダウングレード。本人もびっくりの表情だった。なんか納得いかないなあ・・・。
 他の選手の演技はまだ観ていないので、後で録画で観なくちゃ。何故ならくりりんが観たい番組があったのだ。
 で、今から男子フリーはライブで観られるので、今からは集中する。感想は後日。
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2015年01月16日

バストアップのメンテナンス

気付けばもう9月になりましたね。

夏の季節は終わり、肌の露出が少なるからと言って油断は禁物です。
この時期にも定期的にバストアップのメンテナンスはしておきましょう。

誰でも簡単にできるのが腕立て伏せ。


普通の腕立てがキツイかたは、膝を床に付けたママでも構いません。

10回を3セット。


毎日やることで胸のハリは維持されます。

腕立てをする時間がない方は、
拝むポーズをする。


これだけでもバストのたるみを解消できるので、
ぜひとりいれてみてください^^

まだまだ暑い季節は続きますが
みなさんも体調にはお気を付けくださいませ。

では、またお会いしましょう!

misshate
misssong
missww
misssny
missrgss
missw
missty
misspl
misshelp
misshaha
  


2014年12月24日

矛盾を語った時の疑問から

 「この世の中は矛盾に満ちている」というような言葉で前回のブログを閉じましたが、日々の暮らしの中に身を置いている私自身が私の世界観で世の中を見る視点とまた私自身の自己矛盾的な存在として日々の思考の中にいのちの彼岸へと向かっている過程のなかで自分を見つめる視点を合わせ持っています。

 「矛盾がある」

 「矛盾している」

 その合わせ持っている視点は、上記のようにそのように吐露するのですが、この「矛盾」を語るとき対比的な感覚で物をとらえていることに気がつきます。

 「こうあるべきもの」

が自己理解の判断の心底にあります。表現として心底に写しだされ現われてくるとも言えると思います。

 矛盾とは自分の尺度において対極なり相異をそのなかに捉えるのでしょうが、なぜにそのような気が現われるのでしょう。

 世の中は、移りゆくもの、そこに「無常」を見るのが日本人の思惟の世界のようですが、そのような情緒感で「矛盾」を考えると、「矛盾がある」という断定よりも、後者の「矛盾している」という「そういうものである」的な、ただその中に「ある」存在に視点を置く方が落ちつくような気がします。

 世の中も、自分もその時々の流れの中で、どこまで流れればその矛盾に気がつくのだろうか。

 今まさに矛盾を感じるとはどういうことなのか。

 「案ずる」

という思い巡らすことは、「未だ来たらず」の想い煩いであって本当に矛盾などというものがあるのだろうか。

 概念、意味、論理、説明、理由、理論、思想(ロゴス)

これらが語られるのは、意味による範疇化でしかないのではないか。


「あるものがあるかないか」(事実存在)

「あるものが何であるか」(本質存在)

存在について故木田元先生は語っていましたが、これは上記の

 「矛盾がある」

 「矛盾している」

は私自身この言葉に重なり感じます。後者の「矛盾している」は本質の理解が無ければ語られないことは自明で、前者は相異があるかないか、「ある」「ない」の決定で「ある」以上それは「ある」に終局します。

 「矛盾がある」

と断定した時、矛盾があると語った時、人間は苦悩に陥らざるを得ない。

 矛盾とは二元論で語られる対極の只中の間の現れであって、「あるものが何であるか」を言い抜いて、突き破らない限りは、人間は苦悩し続けることになるのではないか。

「現象というものは、Aでもあれば非Aでもある」

それは差異とも呼べそうですが、「現れ」は形成の只中の「ある」にしか表現できません。

 ベッカム実存主義が着飾りのメタモルフォーゼに走るのは、どうも回避にすぎないように思えるのです。

 心底実存に付き合っていない。ある意味「力の意志」や「回避意志」の存在の忌避上を離れていないように思うのです。ベッカム実存主義はある意味、助けにはならないと思うのです。

「あるものがあるかないか」(事実存在・existentia)

は「現実存在」と哲学者の松浪信三郎先生は訳していますが、「実存」という短縮した言葉になります。

 実存を突き破ること、これにはやはり心底実存を見つめ、付き合い、根柢を突き破るが寛容に思えるのです。

ということで、個人的な語りの日記を残します。
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