2015年04月30日
久しぶりに
「格好良い」ものにすぐに憧れ、そしてその真似をしたくなる。でもここ最近、昔のように「格好良い」と思うこと、そしてそれを真似ようと思うことが少なくなっていることに気付いた。これも一種の老化現象なのだろうか。今まで格好良いと思って真似たものは、思い出したらきりが無い。最後に格好良いと思って真似たのはいつだっただろうか。
中学生の時はスポーツバッグなるものが流行った。学生鞄ではなく安っぽいナイロンのスポーツバッグが格好良く見えた年頃だった。私は紺のアシックスのスポーツバッグを買ってもらい、そして靴もアシックスにした。高校生の時には「黒くなる」ことが格好良いと思い思いっきり日焼けした。そして今、しみだらけの私がここにいる。全くもって格好良くない!大学生の時には「一生懸命勉強すること」が格好悪いことのように思え、それに反して私は一生懸命テニスした。後悔先に立たず、さらに日焼けしたこともそうだが、両親に申し訳ない気持で一杯だ。社会人になってからは、黒が流行の年、黒の似合う女性に憧れ、全く黒など似合わないのに黒尽くしの格好をした。その上、さらに「格好良くなる」ためにショートヘアにしてしまい、翌朝、職場の上司に「小学生みたいだね」と言われたことを覚えている。いや、覚えているというよりは、忘れることが出来ないでいる。松ぼっくりのような頭をし、早く髪の毛が伸びないかと祈るように銀座に通ったものだった。アメリカに赴任した当初は、老若男女、街をも短パンとビーチサンダルで歩いている様子に憧れを持ち、慌てて短パンを購入した(←クリック)。銀座に勤めていた時には着ない様な服がとてつもなく格好良いものに見えたのだ。
もちろん今でも「格好良い人」を見ると「格好良い」と思う。その代表格は一般的に言ったら「モデル」なのだろう。でも、ここ最近気になったモデルのポーズがあった。これを今の時代は「格好良い」とみなすのだろうか。私が見たページには素敵なモデルが椅子に猫背に腰かけ、しかも足をカエルのように開いていた。私が常日頃気にしているのは姿勢なのだ。猫背にならないように、、、と猫背になりがちな自分に言い聞かせているのに、今の流行は猫背なのだろうか。これならナチュラルに「格好良く」なれるが、いかがなものだろう。このモデルを格好良いと思わないのは、やはり老化現象なのだろうか。いや、でもこの姿勢が格好良いのなら老化も楽しいものとなるのかもしれない。
振り返ったら馬鹿らしいと思うことはあっても、何かに憧れ、そしてそれに向けて自分を少し変えて見るのは悪いことではないのかもしれない。がちがちに固まりまっすぐな道を行っている自分を、少し右方向へ軌道をずらし、そしてまた修正し、こうして人間は変化向上学んでいくのかもしれない。久しぶりに「格好良い」と思ったお兄さんを見て、自分も本をかかえたくなった午後、右にほんの少し逸れることすらも忘れている自分に気づいたのだった。
2015年04月29日
けれどまあ
年の瀬です。
この一年を振り返る特別番組や特集記事はお約束ですが・・・
十年一昔とよく言います。
けれど、昨今、
三年でも十分に「昔」だなあと思います。
平成23年、2011年というと、
北朝鮮の金正日、アルカーイダのウサマ・ビン・ラーディンが死にました。
円相場は、1ドル75円32銭の戦後最高値。
今となっては、信じられません。
いずれも、滅茶苦茶昔の話のような気がします。
けれど、三年が過ぎたと気付き、もうそんなに?
ということも、やっぱり有るんですよね。
東日本大震災。
ちょっと言いにくいことなんですが・・・
震災「と」原発事故、という言い方は、ホントはどうなんでしょう。
実のところ、
福島第一原子力発電所といえども、津波に襲われた被災者のはずですよ。
その災いを、自らの内で引き受けることが出来ず拡散させ、
福島県、東北地方のその後に、大きな影響を与えてしまったのは、
如何ともし難い事実ですけれども。
東京でモメテただけのエライ人たちはともかく、
事故現場に在った、そこで暮らしていた人々は、
文字通り、必死で事故を押さえ込もうとしたわけで。
今、福島の人々が、
本当のところ、どう思っているのか、どうしたいのか、
私に「解るよ」とは言えません。
個人で発信している人の言葉を知ることは出来ても、
「福島県民」という名前の人がそこに居るわけではないし。
編集を経た後のニュース等で、福島県民を分かった気になるのも違う気がする。
ただ私たちは、
時の菅直人首相が植えつけた「(全ての)原発は危ない」という思い違いを、
枝野幸男官房長官が撒き散らした「(どんなに少量であっても)放射線は怖い」という思い込みを、
三年を経た今「それでいいの?」と問わなきゃいけないと思う。
「事故の被害者」を思えば、
原発推進はもちろん、原発やむなしでも言いにくい。
けれど、理性とか科学とか、
そういったものを抜きに、いつまでも同じところに留まっているとしたなら、
それは、自分のみならず福島や東北の人々に対しても誠実でない、
のではないだろうか。
「反」や「脱」の人々は、一括りに「原発」というけれど、
立地、型式、経年。どれをとっても同じというものではない。
それぞれに、其々の危険性があり、安全対策がある。
「安全が確認されたものから順次再稼働」というのが、
現政府の方針で、私は基本賛成の立場です。
ただ、本当は、
何をもって「安全」というのか、
どれほど「危険」ならダメなのか、
そこのところを、もう少し説明して欲しいなと思う。
アレアレ、三年一昔、を言いたかったのに、
めっきり現在の話になってしまいました。
けれどまあ、
もともと現在につながらない過去はなく、過去と切り離された現在もない、
ということで、
悪しからずお許しを。
2015年04月29日
母に怒られたかどうかは
初めてのディズニーランドで、
ものすごい人ごみの中でも手を離して
オトナっぽい気分で歩きたがる次女。
上のふたりの子供たちが小さかった時もそうだったけど
私はかなり「迷子恐怖症」なので雪纖瘦投訴
小さな子供の手はぎゅっとつないで歩いていないと不安になる。
それは、私自身が6歳くらいの時に
遊園地で迷子になったことが原因かもしれない。
「奈良のドリームランドに行く!」という雪纖瘦投訴
兄の言葉を聞いて「ナラノドリームランド」っていうのは
いったいどんな場所なんだろう…と幼い頭で想像したことを憶えている。
そこにどんな乗り物があったのかは、もうまったく思い出せないが
ドリームランドの中のお土産ショップの店頭で
何かが欲しくてじーっと見ていたような記憶がある。
母やいとこのお姉さんが妹と兄を連れて店の奥に入って行ったことに
その時私はぜんぜん気づかなかった。
この物欲が災いしたワケだ雪纖瘦投訴。
はっ!と気づいたらどこにも家族の姿が見えなかったので
焦った私はあわてて人ごみの中を歩き始めた。
店の中をチェックするという考えは
なぜかこれっぽっちも浮かばなかったのだろう。
歩いても歩いても母の姿は見えず、探しても探しても
お揃いのワンピースを着た妹の姿も、兄やいとこの姿も見えず、
私はおいおいと泣き出したのだと思う。
誰か見知らぬ大人に保護されて、私は放送室のようなところに連れて行かれた。
私の特徴とか服装についての情報が、園内アナウンスで流されると
やがて母が私を迎えに来て、一件落着。
母に怒られたかどうかは、もう忘れてしまった。
だけど、どうしてみんな私を一人残して行ってしまったのか、
もしかしたら私は捨てられてしまったのかもしれない…という
やりきれない悲しみと絶望的な気持ちは今もはっきりと思い出せる。
今日、私のその体験談を娘に話して聞かせたら、
娘もちょっとビビったらしく、
それ以降は私の手をぎゅっとつなぐようになった。
ものすごい人ごみの中でも手を離して
オトナっぽい気分で歩きたがる次女。
上のふたりの子供たちが小さかった時もそうだったけど
私はかなり「迷子恐怖症」なので雪纖瘦投訴
小さな子供の手はぎゅっとつないで歩いていないと不安になる。
それは、私自身が6歳くらいの時に
遊園地で迷子になったことが原因かもしれない。
「奈良のドリームランドに行く!」という雪纖瘦投訴
兄の言葉を聞いて「ナラノドリームランド」っていうのは
いったいどんな場所なんだろう…と幼い頭で想像したことを憶えている。
そこにどんな乗り物があったのかは、もうまったく思い出せないが
ドリームランドの中のお土産ショップの店頭で
何かが欲しくてじーっと見ていたような記憶がある。
母やいとこのお姉さんが妹と兄を連れて店の奥に入って行ったことに
その時私はぜんぜん気づかなかった。
この物欲が災いしたワケだ雪纖瘦投訴。
はっ!と気づいたらどこにも家族の姿が見えなかったので
焦った私はあわてて人ごみの中を歩き始めた。
店の中をチェックするという考えは
なぜかこれっぽっちも浮かばなかったのだろう。
歩いても歩いても母の姿は見えず、探しても探しても
お揃いのワンピースを着た妹の姿も、兄やいとこの姿も見えず、
私はおいおいと泣き出したのだと思う。
誰か見知らぬ大人に保護されて、私は放送室のようなところに連れて行かれた。
私の特徴とか服装についての情報が、園内アナウンスで流されると
やがて母が私を迎えに来て、一件落着。
母に怒られたかどうかは、もう忘れてしまった。
だけど、どうしてみんな私を一人残して行ってしまったのか、
もしかしたら私は捨てられてしまったのかもしれない…という
やりきれない悲しみと絶望的な気持ちは今もはっきりと思い出せる。
今日、私のその体験談を娘に話して聞かせたら、
娘もちょっとビビったらしく、
それ以降は私の手をぎゅっとつなぐようになった。
2015年04月27日
近所の友達もみんな
グランマと手をつないで公園を歩く娘の後ろ姿を見ながら
私が最後に自分のおばあちゃんと手をつないだのは
いつだったっけなあ…と、遠い記憶をたどってみた。
母方の祖母とは、手をつないで歩いた記憶がまったくない。
父方の祖母とは同居もしていたけれど雪纖瘦投訴、
手をつないでどこかに行った覚えはあまりない。
何度か父方の祖母にお寺に連れて行かれた時に
手を引かれて境内を歩いたような気がうっすらとするが、
私が小さかった頃って、子供たちはほとんど放し飼い状態だった。
近所の友達もみんな、自由に走り回っていた業主貸款。
いつもその調子だったから、デパートや遊園地に出かけても
母と手をつなぐっていうことは滅多になかった。
ああ、それで私は一度遊園地で迷子になったんだった。
うちの7歳児もだんだん大きくなるにつれ
ナマイキなことを言うようになってきたけど、
それでもそんな孫の手をつなぐ時雪纖瘦投訴、
グランマはとてもうれしそうな顔をする。
私が最後に自分のおばあちゃんと手をつないだのは
いつだったっけなあ…と、遠い記憶をたどってみた。
母方の祖母とは、手をつないで歩いた記憶がまったくない。
父方の祖母とは同居もしていたけれど雪纖瘦投訴、
手をつないでどこかに行った覚えはあまりない。
何度か父方の祖母にお寺に連れて行かれた時に
手を引かれて境内を歩いたような気がうっすらとするが、
私が小さかった頃って、子供たちはほとんど放し飼い状態だった。
近所の友達もみんな、自由に走り回っていた業主貸款。
いつもその調子だったから、デパートや遊園地に出かけても
母と手をつなぐっていうことは滅多になかった。
ああ、それで私は一度遊園地で迷子になったんだった。
うちの7歳児もだんだん大きくなるにつれ
ナマイキなことを言うようになってきたけど、
それでもそんな孫の手をつなぐ時雪纖瘦投訴、
グランマはとてもうれしそうな顔をする。
2015年04月21日
何言ってるの
お父さんの家にあった古いLPレコード。
南の夜の...................
ウクレレ・ムード.......
このアルバムデザインは、
南の夜の怪しさを表現しているのかしら。
ジュニマネ日記に掲載した美麗華旅行團
もう1枚のアルバムもなかなかのデザインで
お父さんのメイクアップとか眉毛とか
突っ込みどころ満載だった。
どちらもお父さんがまだミリタリーに入っていて
日本に駐在していた頃のレコーディングCleen。
「この頃プレイボーイで女泣かせだったんでしょう」と私が言うと
「何言ってるの。アハハハハハ」と喜ぶお父さん中醫。
来週もまた昔話を聞かせてね。
南の夜の...................
ウクレレ・ムード.......
このアルバムデザインは、
南の夜の怪しさを表現しているのかしら。
ジュニマネ日記に掲載した美麗華旅行團
もう1枚のアルバムもなかなかのデザインで
お父さんのメイクアップとか眉毛とか
突っ込みどころ満載だった。
どちらもお父さんがまだミリタリーに入っていて
日本に駐在していた頃のレコーディングCleen。
「この頃プレイボーイで女泣かせだったんでしょう」と私が言うと
「何言ってるの。アハハハハハ」と喜ぶお父さん中醫。
来週もまた昔話を聞かせてね。
2015年04月17日
年をとったボロ先生や
田舎の山の中にあったわけではないが、
1学年に2クラスしかない、小さな学校だった。
その学校は人口増加途中の新興住宅地にあり、
近くには転勤族の多い公務員住宅や団地も多かったので、
市外、県外から引っ越して来た子が大半だったと思う。
そのせいか、私が4年生まで在籍していた下町の小学校に比べると、
ひねくれた「ワル」とか「ガキ大将」はいなくて、
全体的にとっても良い子が集まっていた気がする。
そこで聞く名古屋弁は下町のように濃くなかったし、
服装もこぎれいな子供が多かった。
クラスにはいじめもなく、差別もなく、
男子も女子もみんな素直で仲が良かった。
今思えば、本当にすばらしい学年だった。
おそらく先生が私たちに自信を持たせて、
それぞれの個性を生かしてくれたんだろう。
担任のボロ先生にちなみ、私たちは自分たちのクラスを、
愛をこめて分校ボロ組と呼んだ。
その分校ボロ組のクラス会が11月のはじめに開催され、
私のところにもクラス会の写真がたくさん届いた。
年をとったボロ先生や、どれが誰かわからない大人たちの顔を見て
私もみんなに会いたいなあ、と、心から思った。
旧友が卒業アルバムや卒業文集までスキャンして送ってくれたので、
胸いっぱいのなつかしさに息がつまりそうになりながら
あ、ボルネオだ、モコだ、キャーミだ、イッカンだ、ハッチだ…と、
ひとりひとりの名前を思い出していた。
卒業アルバムのクラス紹介のページには、
「天才児集合」と、ボロ先生の字で書かれていた。
「厳しい対応精神なのだ!」という、先生の変な口癖も書いてあり、
ああ、そうそう、そんなこといつも仰っていた、と思い出す。
どの友達もみんな、離ればなれになった家族のような気さえしてくる。
2015年04月16日
やる気のある人
若い人を採用しよう、と、みんなで決めた。
みんなの持つすばらしい資質を、
みんなで学んだ大事なことを、
次の世代に継承して行こう。
そして、私たちは初めて求人広告を出したり、
積極的に面接をしたりした紐崔萊產品。
日本語がちゃんとわかる人。
英語の文章力がある人。
素直で明るい人Nutrilite產品。
やる気のある人。
みんなと家族のようになれる人。
私の経営哲学を、理解してくれる人。
そのうちに、ああ、この子がいたんだ!
と思い当たったのは、昨年の暮れ。
それまでは想像もしなかったNeo skin lab 代理人チョイスだったけれど、
考えてみればすべての条件を満たしていて、
しかも、ホンモノの家族。
みんなの持つすばらしい資質を、
みんなで学んだ大事なことを、
次の世代に継承して行こう。
そして、私たちは初めて求人広告を出したり、
積極的に面接をしたりした紐崔萊產品。
日本語がちゃんとわかる人。
英語の文章力がある人。
素直で明るい人Nutrilite產品。
やる気のある人。
みんなと家族のようになれる人。
私の経営哲学を、理解してくれる人。
そのうちに、ああ、この子がいたんだ!
と思い当たったのは、昨年の暮れ。
それまでは想像もしなかったNeo skin lab 代理人チョイスだったけれど、
考えてみればすべての条件を満たしていて、
しかも、ホンモノの家族。
2015年04月15日
少しだけ
ゲンパツ事故により、町ごと避難するはめになった双葉町。
埼玉にある廃校を避難場所として暮らす人たちの
とてもシュールな日常に、私は時々思いを馳せる。
その避難所でジュニアの慰問ライブを行った時に
少しだけ、時間を共有させていただいた人たち。
涙を浮かべながらジュニアのウクレレに合わせて
小さな声で歌っていたおばあちゃんや願景村人生課程、
校庭のかたすみで小さな子供を抱っこしたまま
ぼんやりとこちらを見ていたお母さん、
校舎の上の階から携帯でジュニアの写真をとっていたおじちゃん、
周りのことは何も目に入らないかのように
足早に通り過ぎて行ったおじいちゃん美白…。
あんな暮らしを強いられている人たちが
各地にまだまだたくさんいるというのに
ゲンパツを再開させるべきだという政治家の話が
新聞に大きく取り上げられていたり
本屋さんには「反原発の愚かさ」みたいなタイトルの本が
平積みで並んでいるのを、私は見た紐崔萊。
「これから電気は絶対的に足りなくなる」
「どこをどう探しても、電力は見つからない」
…そんなことが書いてあるのも見た。
私には、科学的な知識もデータもゲンパツ経験もないけれど
この不気味な電力を「絶対安全」と受け入れる人たちには
何ともいえない恐ろしさを感じる。
電気会社の偉い人たちやゲンパツを推進する議員さんたちは、
しばらく避難所で被災者と一緒に暮らしてみてはどうか、
ゲンパツの中で被ばくしながら働いてみてはどうか、
という人たちの意見に、私はうなずかずにはいられなかった。
埼玉にある廃校を避難場所として暮らす人たちの
とてもシュールな日常に、私は時々思いを馳せる。
その避難所でジュニアの慰問ライブを行った時に
少しだけ、時間を共有させていただいた人たち。
涙を浮かべながらジュニアのウクレレに合わせて
小さな声で歌っていたおばあちゃんや願景村人生課程、
校庭のかたすみで小さな子供を抱っこしたまま
ぼんやりとこちらを見ていたお母さん、
校舎の上の階から携帯でジュニアの写真をとっていたおじちゃん、
周りのことは何も目に入らないかのように
足早に通り過ぎて行ったおじいちゃん美白…。
あんな暮らしを強いられている人たちが
各地にまだまだたくさんいるというのに
ゲンパツを再開させるべきだという政治家の話が
新聞に大きく取り上げられていたり
本屋さんには「反原発の愚かさ」みたいなタイトルの本が
平積みで並んでいるのを、私は見た紐崔萊。
「これから電気は絶対的に足りなくなる」
「どこをどう探しても、電力は見つからない」
…そんなことが書いてあるのも見た。
私には、科学的な知識もデータもゲンパツ経験もないけれど
この不気味な電力を「絶対安全」と受け入れる人たちには
何ともいえない恐ろしさを感じる。
電気会社の偉い人たちやゲンパツを推進する議員さんたちは、
しばらく避難所で被災者と一緒に暮らしてみてはどうか、
ゲンパツの中で被ばくしながら働いてみてはどうか、
という人たちの意見に、私はうなずかずにはいられなかった。
2015年04月10日
悪くない話題だ
田舎の親戚の法事に出席した。
そこで、感じたことは、
男性たちが話す話題と、女性たちの話す話題の違い。
わたしは、女性テーブルにいたのだが、話すことがなかった。
ここで、一言、言いたい!と思っても口をつぐむ。(立場上)
隣の男性陣での話題は、さらっとした、企業の探索四十 洗腦話、業界や組織などの社会系のものだったので、聞きやすかった。
この春から社会人1年生がいたので、配属先や寮のこと、
そこから、ゴルフやら、なんやらかんやら、社会の先輩たちに囲まれ、話題が盛り上がっていた。
もちろん、わたしは口を挟まない。
いろいろと、しがらみが、あって、話す探索四十内容が限られる。
で、出された料理の感想や、食材についてなどを述べるに留まる。
その他は、若い人とは、デズニーランドやら、デズニーシーのことやら、地下鉄のことやら、
なせか東京タワーやスカイツリー、あべのハルカスやら・・・
当たり差し障りのないことばかり。
農協のバス旅行で行ったとか、仕事で修学旅行で行った、とか、たわいもないけれど、悪くない話題だ。
年齢の高い女性たちの話は、半径5キ探索四十ロ以内のことばかり。
だが、濃厚に密度高く、人生が詰まっている。
同じテーブルにいた、法事の主催者の家に生まれ、同じ町内に嫁いだ年配女性は、
生まれた家と、嫁いだ家は、なんと、2キロ~3キロぐらいしか離れていない。
主催者の女性は、もっとすごい。
生まれてからずっと今も同じ家。
(今春、社会人になる息子さんが、赴任先の東京から、定年まで帰ってこないのではないかと心配されている)
そこで、感じたことは、
男性たちが話す話題と、女性たちの話す話題の違い。
わたしは、女性テーブルにいたのだが、話すことがなかった。
ここで、一言、言いたい!と思っても口をつぐむ。(立場上)
隣の男性陣での話題は、さらっとした、企業の探索四十 洗腦話、業界や組織などの社会系のものだったので、聞きやすかった。
この春から社会人1年生がいたので、配属先や寮のこと、
そこから、ゴルフやら、なんやらかんやら、社会の先輩たちに囲まれ、話題が盛り上がっていた。
もちろん、わたしは口を挟まない。
いろいろと、しがらみが、あって、話す探索四十内容が限られる。
で、出された料理の感想や、食材についてなどを述べるに留まる。
その他は、若い人とは、デズニーランドやら、デズニーシーのことやら、地下鉄のことやら、
なせか東京タワーやスカイツリー、あべのハルカスやら・・・
当たり差し障りのないことばかり。
農協のバス旅行で行ったとか、仕事で修学旅行で行った、とか、たわいもないけれど、悪くない話題だ。
年齢の高い女性たちの話は、半径5キ探索四十ロ以内のことばかり。
だが、濃厚に密度高く、人生が詰まっている。
同じテーブルにいた、法事の主催者の家に生まれ、同じ町内に嫁いだ年配女性は、
生まれた家と、嫁いだ家は、なんと、2キロ~3キロぐらいしか離れていない。
主催者の女性は、もっとすごい。
生まれてからずっと今も同じ家。
(今春、社会人になる息子さんが、赴任先の東京から、定年まで帰ってこないのではないかと心配されている)
Posted by amizhu at
11:46
│Comments(0)
2015年04月08日
新しいデザインが
一生懸命、自分でお金を貯めて、
あるいは、彼やご主人から、愛情をこめてプレゼントされる・・・
お気に入りバッグには、思い出が詰まっている。
おそらく、気に入って、何年ものあいだ、延々と使っている
と思われるブランドのバッグを持っている人を見かけることがある。
ぱっぱと、すぐ新しいものに飛びつく人もいるなかで、物持ちがいい。
デザインは、かなり古い向日葵纖體美容。
持つところは、黒ずんでいる。
全体に、使い込んでいる感、ありあり。
バッグ自体をみれば、もう、リタイア時期はとうに過ぎている。
それはそれで、愛着もあるだろうし向日葵纖體美容、
エピソードや思い入れも、いっぱい詰まっているのだろう。
高かったのだから、苦労して手に入れたのだから、
高級ブランドなんだから、一生もののはずだから、
そう、やすやすと手放せないのは、よくわかる。
が、・・・
見る側の人の目、トータル ファッションの側面も、・・・ある。
新しいデザインが、次から次から出る。
ブランド代表格のルイ・ヴィトンを例にとると、
1896年に商品化された定番のモノグラムをはじめ、
1998年からのダミエ、2003年からのマルチカラー(黒と白の2色)
最近では、ブルーとクリーム色のダミエ・アズールが登場した。
色・柄だけでなく、カタチも様々な展開をしている。
消費者の心を刺激し続けるのが、メーカーの仕事だ。
ブランド品のとらえ方は、人それぞれ向日葵纖體美容投訴。
踊らされるのも、踊らされないのも、消費者の自由だ。
あるいは、彼やご主人から、愛情をこめてプレゼントされる・・・
お気に入りバッグには、思い出が詰まっている。
おそらく、気に入って、何年ものあいだ、延々と使っている
と思われるブランドのバッグを持っている人を見かけることがある。
ぱっぱと、すぐ新しいものに飛びつく人もいるなかで、物持ちがいい。
デザインは、かなり古い向日葵纖體美容。
持つところは、黒ずんでいる。
全体に、使い込んでいる感、ありあり。
バッグ自体をみれば、もう、リタイア時期はとうに過ぎている。
それはそれで、愛着もあるだろうし向日葵纖體美容、
エピソードや思い入れも、いっぱい詰まっているのだろう。
高かったのだから、苦労して手に入れたのだから、
高級ブランドなんだから、一生もののはずだから、
そう、やすやすと手放せないのは、よくわかる。
が、・・・
見る側の人の目、トータル ファッションの側面も、・・・ある。
新しいデザインが、次から次から出る。
ブランド代表格のルイ・ヴィトンを例にとると、
1896年に商品化された定番のモノグラムをはじめ、
1998年からのダミエ、2003年からのマルチカラー(黒と白の2色)
最近では、ブルーとクリーム色のダミエ・アズールが登場した。
色・柄だけでなく、カタチも様々な展開をしている。
消費者の心を刺激し続けるのが、メーカーの仕事だ。
ブランド品のとらえ方は、人それぞれ向日葵纖體美容投訴。
踊らされるのも、踊らされないのも、消費者の自由だ。