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2015年03月27日

ことがない

秋になっても、生ビールは、なお切れ味よろしく、疲れた体と喉にご褒美。
しかしながら、今日は、喉ごし爽やかでない、ごっくんメニュー。
飲むのは、胃數學補習カメラ。

憂鬱である。

前回は、喉のどこかに引っかかり、涙もの。
げほっ、げほっ、う、う、、、と、むせた鑽石能量水 消委會
麻酔もかかっているし、あんな異物を飲んでいるわけだから具合が良くないのは当たり前のことで、
「苦しい~」、と訴えることができなかったPretty Renew 雅蘭
死ぬときは、こんな苦しさなんか足元にも及ばず、もっともっと、さらに苦しいんだろうなあ・・・と、
恐怖を自分で何倍にも拡大し、肉体と精神面から同時に苦しさを倍増させ、
自分で勝手に相乗効果をもたらせて、慄(おのの)いていた。


・・・

戦争を体験した方は、少々の困難があっても、あの時代の苦しみに比べるとたいしたことがない、と仰る。
その苦境を乗り越えてこられた、自信のようなものが、一回りも二回りも、器を成長させてこられたのだろう。

病気もそう。
わたしのように、病気らしい病気をしたことのない、健康体にとって、最も怖いものは、病気。
ちょっとぐらいは、スポット的に病気をしたことがあるが、深刻なものではなかった。
病気の予告編程度であって、怖さだけがインプットされ、克服に至る経験がないので、ただただ怖ろしい。
  


Posted by amizhu at 13:00Comments(0)ds